――思えば、彼と顔を合わせるのは彼が朝帰りをしたあの日以来だ(電話では話したけれど)。しかも、元カレとの再会からの遭遇(そうぐう)だもんで、私にしてみれば気まずいことこのうえない。「今日もバイトだったんですね」「あ、はい」 なのに、彼はいつもと全く変わらない調子で話しかけてくる。私だけが気まずいのもなんかヘンだ。「……えっと、原口さんは? 今日はどうしたんですか?」 私は首を傾げてみせる。蒲生先生の件だって、あれだけ「私にも知らせて」って言ったのに。待てど暮らせど連絡をくれなかった。「あれ? 四時ごろからずっとお電話してましたけど、留守(るす)電(でん)になってたので……」「えっ、マジで!? ……わっ、ホントだ」 慌ててスマホを確かめると、『着信五件』の表示が出ている。もちろん全て原口さんのケータイからだった。 そういえば、バイトが終わってからもマナーモードを解除し忘れていた。潤と話し込んでいた時にも、何回かヴーヴー震(ふる)えていた気がする。「ゴメンなさい! ずっとマナーモードにしたままだったから、気づかなくて」 これは完全なる私の落ち度だ。だから低(てい)姿勢(しせい)に謝るしかなかった。「いつもはバイト終わったら、マンションに着くまでの間に解除してるんですけど」「ということは、今日に限って何かあったから解除できなかったんですか?」「あ……、えっと……」 原口さん、鋭(するど)い! 私は彼に何もかも見透かされている気がして、咄嗟に言い訳が思いつかない。苦し紛(まぎ)れに訊いてみる。「どうして『何かあった』って思ったんですか? ただうっかり忘れてただけって可能性もあったでしょ?」「まあ、確かにそうなんですけど。なんか冴(さ)えない表情なさってるのでそうじゃないか、と」「…………」 やっぱり私は、何かあるとすぐ顔に出てしまうらしい。これじゃ何考えてたってすぐバレるっつうの。「っていうか原口さん、〝浮かない〟の次は〝冴えない〟って! ボキャブラリー乏(とぼ)しすぎでしょ!」 私は彼の語彙(ごい)力のなさにツッコんだ。「いいでしょう、別に。僕は編集者であって作家じゃないんですから。――それより、今日先生にご連絡差し上げたのは、色々とご報告したいことがあったからなんです。蒲生先生の件も含めて」 彼は半ギレ状態でつっかかって
「先生、今からお宅におジャマしちゃダメですか? 先生に何があったかもお聞きしたいですし」「えっ!? ……ちょっ、ちょっと待って!」 それはヒジョーにマズい! 潤はこのすぐ近くに住んでいるのだ。アイツにあらぬ疑いを抱かせたくない。 「ウチはちょっと……。――あのっ! お時間まだありますよね? だったら、今から私に付き合ってもらえませんか?」 私はふと思い出した。このマンションからすぐのところに、行きつけの喫茶(きっさ)店(てん)があることを。――ちなみに近頃人気の〝カフェ〟ではなく、創業三〇年を越える昔ながらの〝喫茶店〟である。 平日の昼間には、サラリーマンやOLさん達がランチを摂(と)る穴場となるお店だけれど、今の時間なら店内も空いているだろう。「えっ!? あの――」「私もあなたに話したいことがあるんです。そこの喫茶店で甘いものでも食べながら話しません?」「は? 甘いもの?」 話がまったく呑み込めない彼の腕をガシッと掴(つか)み、私は強引に彼を連行した。「ね! 行きましょう!」「は、ハイ!?」 * * * * ――私達が入った喫茶店『デージー』は、六十歳くらいのマスターとアルバイト店員三人くらいで切り盛りしている小(こ)ぢんまりしたお店。私はどちらかというと、大手カフェチェーンよりもこういうお店の方が落ち着いてお茶やスイーツを楽しむことができる。十「いらっしゃいませー! あ、ナミ先生!」 テーブルまでお冷やを持ってきてくれたウェイトレスさんは、実は私のファン。「こんにちは。今日は連れがいるのよ」「どうも」 私が原口さんを紹介すると、ウェイトレスさん(名前は確か〝アヤちゃん〟だったと思う)が目をキラキラさせた。「えっ、ウソっ!? すごいイケメン! わ、ヤバー!」「アヤちゃん、ちゃんと仕事しないとマスターに叱(しか)られるよ」 私が苦笑いしながらたしなめると、彼女は「スミマセン!」と謝ってからウェイトレスの顔に戻った。「――ご注文は?」「チョコレートパフェ。――原口さんは?」「あ……じゃあ、チーズケーキセット。コーヒーで」 アヤちゃんはオーダーを伝票に書き留(と)めると、「かしこまりました」と頭を下げて厨房(ちゅうぼう)へと下がっていった。「――先生も今日は甘いものを食べなきゃやってられない日……だったんですか?
「いや、てっきり辛党(からとう)なのかと思ってたもんで。甘いものもお好きだったんですね」「ええ、両方好きなんです。……そんなに意外でした?」 彼があまりにも意外そうに言うので、私は不思議に思った。「だって、『甘い玉子焼きは好きじゃない』っておっしゃってたんで。甘いもの全般苦手なのかと」「それは玉子焼きの話でしょ? スイーツはまた別モノですから」 これでもうら若き女子なのだ。こういう可愛いところがあったっていいじゃないか!「そういう原口さんはもしかして……、チーズ好き?」 ふと思い当たり、今度はこっちから質問返し。原口さんがキョトン顔に。「どうしてそれを……」「間違ってたらゴメンなさい。さっきオーダーしたのもチーズケーキだったし、こないだの宅飲みの時もチーズたらを美味しそうにつまんでたから」「……分かっちゃいました?」 彼は苦笑いしながら、頬(ほほ)をポリポリ掻(か)く。「いやあ、昔からチーズには目がなくて。スイーツではチーズケーキが断(ダン)トツです」 彼の目がキラキラ輝(かがや)いている。普段のS系イヤミーのカレとのギャップに、私はキュンとなった。……この人、好きなものの話する時にはイイ表情(かお)するんだよなあ。こないだ、私の書く小説を「好きだ」って言ってくれた時もこんな顔してたんだろうな……。 ……おっと! すっかり彼に見とれて、何の話をしてたのか忘れてしまった。「――えっと。かなり話が脱線しちゃいましたけど、何の話してたんでしたっけ?」 私は何とか話の軌道修正を試(こころ)みる。「ああ、先生が冴えない表情をなさってた理由をお訊きしたかったんです」「あー……」 その結果、原口さんに遭遇する前の苦い現実に引き戻され、私は呻(うめ)いた。 でも、彼に心配をかけてしまった以上、打ち明けないわけにもいかない。――私はお冷やで唇(くちびる)と喉を潤(うるお)すと、やっとこ口を開いた。「……実はさっき、潤(じゅん)にばったり再会しちゃって。別れたっきりだから二年ぶりに」「井上さんに? ――でも〝二年ぶり〟っていうのは? 同じ大学だったんじゃ……」 首を傾げる原口さんに、「学部が違ったから、別れたら接点が皆無(かいむ)になったのだ」と説明した。 もちろん、それはウソではないけれど。私の方で極力(きょくりょく)アイツのことを避
「しかもアイツ、今ウチのマンションの近くに住んでるらしくて。『もう一度やり直さないか』って言われました。私、断りたかったのに断れなくて、何だか気持ちがモヤモヤして」「はあ」「どうしてハッキリ『イヤだ』って言えなかったんだろう、って。アイツにまだ未練があるのかどうか、自分でもよく分かんないんですよね」 原口さんは、私がどうして潤に復縁を断れなかったのか、その理由については何も詮索(せんさく)しなかった。私に興味がないのか、それとも詮索したら悪いと思ってあえて訊ねなかったのかどちらだろう? もし前者だとしたらショックだ。「――お待たせしました。チョコレートパフェと、チーズケーキセットです」 ちょっと場の空気が沈んだタイミングで、アヤちゃんが私の前にパフェを、原口さんの前にケーキのお皿と湯気(ゆげ)の立ったコーヒーカップを置き、最後にカトラリーと伝票を置いていった。パフェの甘い匂いのおかげで、私のダダ下がりだったテンションは上向きになった。「先生、とりあえずそれを召し上がって気分を変えませんか?」「そうですね、いただきます」 私は長いスプーンで、トッピングのスライスバナナをホイップクリームごとすくった。 パフェグラスには底からコーンフレーク・コーヒーゼリー・角切りケーキ・バニラアイス・チョコアイス・ホイップ・チョコアイスの順に盛り付けられ、チョコソースがかけられ、ウエハースとスライスバナナ・サクランボがトッピングされている。「ん~! バナナうま~~♡」 実は私、スイーツの中でもバナナが大好物なのだ。「あのー、先生? バナナでテンション上がってるところ申し訳ないですけど、まだ話の途中じゃありませんでしたっけ?」「……あ」 すっかり幸せ気分になっていたところに水を差され、私はまた現実を思い出した。 水を差した張本人の原口さんは、クールにコーヒーをブラックで飲んでいる。チーズケーキにはまだフォークを入れていない。「――さっきの続きですけど。今日、潤に言われたんです。『あの後、〝もしあの時に別の選択肢を選んでたら〟って考えたことはないか?』って」「……? はあ。それがつまり、あの人のおっしゃる復縁ということですか?」 原口さんは曖昧(あいまい)に相槌(あいづち)を打った。そして、潤(アイツ)nの言わんとするところに彼なりの解釈をした。「もち
「私もちょっと身勝手だったのかな、って反省しちゃいました。自分のことで精一杯で、アイツの気持ちなんか考えてる余裕なくて。――せめて、もっとキレイな別れ方ができてたらな……って」「それって……、まだ彼に未練があるってことですか? だから、復縁にハッキリと『No』が言えなかったんじゃ」 原口さんの問いに、私は首を横に振った。「違う……と思います。ただ……彼にちょっと申し訳ないなって思ってるだけです。私もオトナ気(げ)なかったのかな、って」 恋愛と作家の仕事は、両立できないこともない。まして、私は恋愛小説家である。この仕事に恋愛は切っても切れないものだ。 でも、二年前の私は作家デビューしたばかりで、大学の勉強とバイトと執筆のことでもういっぱいいっぱいで、はっきり言って潤のことにまで構(かま)っている余裕なんてなかった。 潤とやり直すのをためらっている理由は、原口さんが――好きな人がいるからだ。「それは仕方ないですよ。作家になった人なら誰でも通る道です。だから先生も、そんなに責任を感じる必要は――」「ヘンな慰(なぐさ)めならいりません。余計に惨(みじ)めになるじゃないですか……!」 彼なりの慰めの言葉を、私は遮った。SならSらしく、もっと厳しいことを言ったり罵倒してくれた方がよかったのに。中途半端な優しさは、却って傷付く。――ましてや好きな人からの慰めは。「……すみません」「いえ。私の方こそゴメンなさい。今のはただの八つ当たりです」 ……ダメダメ! 今日の私は本当にどうかしてる。潤とのことは、原口さん(この人)とは何の関係もないのに八つ当たりしちゃうなんて。「先生、とりあえずパフェ食べて気持ちを落ち着けて下さい。……溶けちゃいますよ?」「はい、……そうですね」 私は素直に頷いた。彼の優しさが、下手(ヘタ)な慰めじゃないと分かったから。「――美味(おい)しいなぁ,コレ」 サクランボの甘さで、ささくれ立っていた気持ちが少し解(ほぐ)れた気がする。「スイーツを頬張(ほおば)ってる時の先生って、可愛いですよね。〝女子〟って感じがして」「……へっ?」 原口さん、今〝可愛い〟って言った!?「なんかすごく幸せそうな顔して食べてるので、可愛いなって」「……だって女子ですもん」 思いがけない殺(ころ)し文句(もんく)にキュンとなった私は、照れ隠
「あの……、原口さん。つかぬことお訊きしますけど」「はい。何でしょうか?」「あなたから見て、五歳年下の女性ってどんな風に見えますか?」 私はスプーンを止め、彼の顔をじっと見つめながらおずおずと訊ねた。――さすがに目を見ては照れ臭すぎる。「それって……先生のことですか?」「ちっ、違いますっ! あくまで広い意味で訊いてるだけですから!」 思いっきり図星をつかれ、私は慌ててごまかした。ここは、身近にサンプルがいないから、今後の創作活動の参考までに……ということにしておきたいところ。もちろん、それはただの建前(たてまえ)だけれど。「う~ん……、それは人にもよるんじゃないですかね」「ですよねえ」 すでにチーズケーキを食べ終えていた原口さんは、コーヒーを飲みながら澄(す)ました顔で答えた。 彼の意見はごもっともだ。人は育った環境や周囲の人によって、その人となりも変わる。年齢だけで一概に「こうだ」とは言えないのかもしれない。「ちなみに私は……、どうですか?」「なんだ、やっぱりご自身のことなんじゃないですか。そうじゃないかとは思ってましたけど」「…………」 思わず言葉を失う私。パフェをつっつくのを再開したばかりで、スプーンをくわえたまま固まってしまった。……さすがはSの原口さん。そう来たか。「そうですね……。先生は責任感が強いし、自立心も強い。それはこれまで、色んな経験を積んできたからだと思います。それこそ、先生が立派な大人の女性だという何よりの証明だと思いますよ」「そ……そうですか」 子供扱いされるかもと思っていた私は、それを聞いてまたキュンとなった。パフェを食べる手も、自然と早くなる。「好きな人がいらっしゃるんでしたっけ? その人は先生のこと、ちゃんと〝女性〟として見てくれてると思いますか?」 ……どうして覚えてるの、それ? あの時はキャラが壊れるほど酔っ払ってたのに。 でも、「それはあなたのことだ」って言うわけにもいかなくて。「はい、……多分。彼は優しい人だし、私のことをちゃんと見てくれてるから」「そうなんですね……」 それとなくニュアンスだけで伝えると、彼は納得してくれたみたいで、それ以上の詮索はしないでくれた。 ――そういえば私、さっきから自分のことばっかり喋ってるじゃん! そう気づいた私は、気持ちを切り換えるためにお冷や
「っていうか、昨夜電話くれた時に話してくれたらよかったのに」「ああ……、そうですね。あの時は重版の報告で頭がいっぱいでしたから」「…………そうですか」「それに、ちょっと厄介なことになってて。お電話だけじゃ伝わらないかな、と思ったもんで」「……は?」 作家の担当から外れるのって、もっと簡単なことだと思っていた。「そんなに大変だったんですか?」「大変というか……。結果的には、僕は蒲生先生の担当から外してもらえたんですけど。その代わりに、交換条件を出されまして」「交換条件?」 私は原口さんの話に眉をひそめる。 何だか物騒(ぶっそう)な言葉が飛び出してきたなあ。無理難題をふっかけられたんじゃないといいけど……。「はい。僕に、『〈ガーネット〉のレーベルそのものから外れろ』と、蒲生先生が」「そんな……! 横暴(おうぼう)じゃないですか、そんなの!」 自分が言われたことでもないのに、私は大憤慨した。 いくらベテランだからって、いち作家に出版社の人事にまで口を出す権限はない。それも、ただのワガママで。「島倉さんは何もおっしゃらなかったんですか? 上司なのに」 島倉さんは部下思いの編集長だ。原口さんがパワハラを受けていたのに、その場にいて何も言わなかったとは考えにくいけど。「一応、僕のことを庇(かば)っては下さったんですけど、結局は力及(およ)ばなかったみたいで……。『最後まで庇えなくて申し訳ない。でも君は何も悪くないから』とおっしゃってました」「そうですか……。じゃあ、もう決定なんですね? 原口さんが〈ガーネット〉から異動になるのって」 とどのつまりは島倉さんもただのサラリーマン、しかも作家ファーストの出版業界の人なのだ。作家が下した決定は、そう簡単には覆(くつがえ)すことができないんだろう。「まあ、そうなりますね。ですが、僕は今度の異動を機(き)に、新レーベルを立ち上げることにしたんです。――もちろん、島倉編集長のGOサインも頂いてます」「新……レーベル?」 原口さんてば、落ち込んでいるどころかすごくポジティブだ。というか〝新レーベル〟って……、なんかすごい話になってきたぞ?「そうです。名前は〈パルフェ文庫〉。〈ガーネット〉とは違い、文庫での刊行のみで、電子版も同時に配信されるという、若手の先生にメインで活動して頂くレーベルになりま
「先生みたいに手のかかる作家さんが、果たして他の編集者の手に負(お)えるかどうかが心配で」「はあっ!?」 私は眉を跳ね上げた。〝心配〟ってそっちの意味かい! ……やっぱりこの人、Sだ。ドSだ!「しっ、失礼な! 私がいつあなたの手を煩(わずら)わせたっていうんですか!?」 私は猛(もう)抗議。頼まれた仕事は一度だって断ったことがないし、手書きだから遅筆(ちひつ)なのは仕方ないとしても、毎回キチンと入稿だってしているじゃないか! ――ところが。「じゃあ逆にお訊きしますけど、先生が僕の手を煩わせなかったことなんてありましたっけ?」「…………あーうー」 胸を張って「ある!」……とは言い切れない。思い当たるフシが多すぎて。 締め切りを延(の)ばしてもらったことは数知れず、催促されれば逆ギレして大ゲンカ。これらの所業(しょぎょう)の数々を、「手を煩わせた」と言わずして何と言うのか。「……ゴメンなさい。ないです」 猛省(もうせい)した私はうなだれた。……けれど。「――というのは冗談で、本当は僕以外の人に先生の原稿を任(まか)せたくなくて」「は?」 ……冗談だったんかい。時々私は、この人の思考回路が分からなくなる。「言ったでしょう? 僕は先生の小説が大好きだって。あんなおいしい役目、他の誰にも取られたくないですから」「……そうでしたね」 嬉しいけど、どうリアクションしていいのか。――「おいしい」って、「役得」って。彼がそれだけの理由でこんな大きな決断をしたとはどうしても思えなくて。「――それでですね、新レーベルは八月初旬(しょじゅん)に創刊予定なんですが。先生にはさっそく創刊第一号の執筆をお願いしたいんです」「創刊……第一号? って、私でいいんですか!?」 私は彼の依(い)頼(らい)の言葉を、すぐには理解できなかった。 新しいレーベルから刊行される第一作目を書く。それは作家にとって、一生に一度あるかないかの大仕事である。そして、その売れ行きによってレーベルの将来が決まるといっても過言(かごん)ではないため、任された側は責任重大だ。 そんな大役を、本当に私が……?「はい、もちろん。先生が一番の適任者だと僕は思ってます」「そうですか……」 何だかんだ言っても、彼は私を信頼してくれている。それなら、彼のためにぜひとも引き受けなきゃ!「
「バレました? 実はそうなんです。僕ももっと早く先生にお話しするつもりだったんですけど、先生が喜ばれるかどうか心配で。僕よりも映画のプロの口から伝えていただいた方が説得力があるかな……と」「はあ、なるほど」 私も自分が書いた作品の出来(でき)には自信があるけれど、「映画化するに値(あたい)するかどうか」の判断は難しい。そこはやっぱり、プロが判断して然(しか)るべきだと思うのだ。「僕は先生がお書きになった原作の小説を読んで、『この作品をぜひ映像化したい!』と強く思いました。それも、アニメーションではなく、生身(なまみ)の俳優が動く実写の映画にしたい、と。それくらいに素晴らしい小説です」「いえいえ、そんな……。ありがとうございます」 私は照れてしまって、それだけしか言えなかった。自分の書いた小説をここまで熱を込めて褒めてもらえるなんて、なんだかちょっとくすぐったい気持ちになる。それも、初対面の男性からなんて……。「――あの、近石さん。メガホンは誰がとられるんですか?」 どうせ撮ってもらうなら、この作品によりよい解釈をしてくれる監督さんにお願いしたい。「監督は、柴崎(しばさき)新太(あらた)監督にお願いしました。えー……、スタッフリストは……あった! こちらです」 近石さんが企画書をめくり、スタッフリストのページを開いて見せて下さった。「柴崎監督って、〝恋愛映画のカリスマ〟って呼ばれてる、あの柴崎監督ですか!?」 私が驚くのもムリはない。私と原口さんは数日前に、私の部屋で彼がメガホンをとった映画のDVDを観たばかりだったのだから。「わ……、ホントだ。すごく嬉しいです! こんなスゴい監督さんに撮って頂けるなんて!」「実は、主役の男女の配役ももう決まってまして。あの二人を演じてもらうなら、彼らしかいないと僕が思う演者(えんじゃ)さんをキャスティングさせて頂きました」 近石プロデューサーはそう言って、今度は出演者のリストのページを開いた。「えっ? ウソ……」 そこに載っているキャストの名前を見て、私は思わず声に出して呟いていた。「……あれ? 先生、お気に召しませんか?」「いえ、その逆です。『演じてもらうなら、この人たちがいいな』って私が想像してた通りの人達だったんで、ビックリしちゃって。まさにイメージにピッタリのキャスティングです」 こん
「いえ、僕もつい今しがた来たところですから」「あ……、そうでしたか」 TVでもよく見かけるイケメンさんに爽やかにそう返され、私はすっかり拍子抜け。――彼が敏腕(びんわん)映画プロデューサー・近石祐司さんだ。「先生、とりあえず冷たいお茶でも飲んで、落ち着いて下さい」「……ありがとうございます」 原口さんが気を利かせて、まだ口をつけていなかったらしい彼自身のグラスを私に差し出す。……私は別に、彼が口をつけていても問題なかったのだけれど。 ……それはさておき。私がソファーに腰を下ろし、お茶を飲んだところで、原口さんがお客様に私のことを紹介してくれた。「――近石さん。紹介が遅れました。こちらの女性が『君に降る雪』の原作者の、巻田ナミ先生です。――巻田先生、こちらはお電話でもお話しした、映画プロデューサーの近石祐司さんです」「巻田先生、初めまして。近石です」「初めまして。巻田ナミです。近石さんのお姿は、TVや雑誌でよく拝見してます。お会いできて光栄です」 私は近石さんから名刺を頂いた。私の名刺はない。原口さんはもう既に、彼と名刺交換を済ませているようだった。「――ところで原口さん、さっき『君に降る雪』って言ってましたよね? あの小説を映画化してもらえるってことですか?」 その問いに答えたのは、原口さんではなく近石さんの方だった。「はい、その通りです。
「――どうでもいいけどさ、奈美ちゃん。早くお弁当(それ)食べちゃわないと、お昼休憩終わっちゃうよ?」「えっ? ……ああっ!?」 壁の時計を見たら、十二時五十分になっている。ここの従業員のお昼休憩は三十分と決まっているので、残りの休憩時間はあと十分くらいしかない! 慌ててお弁当をかっこみ始めた私に、由佳ちゃんがおっとりと言った。「奈美ちゃん、……喉つまらせないようにね」 * * * * ――その日の終業後。「店長、お疲れさまでした! 由佳ちゃん、私急ぐから! お先にっ!」 清塚店長と由佳ちゃんに退勤の挨拶をした私は、ダッシュで最寄りの代々木駅に向かった。 原口さんは、近石プロデューサーが何時ごろにパルフェ文庫の編集部に来られるのか言ってくれなかった。電車に飛び乗ると、こっそりスマホで時刻を確かめる。――午後四時半。近石さんはもう編集部に来られて、原口さんと一緒に私を待ってくれているんだろうか? 私は彼に、LINEでメッセージを送信した。『原口さん、お疲れさまです。今電車の中です。近石さんはもういらっしゃってますか?』『いえ、まだです。でも、もうじきお見えになる頃だと思います』 ……もうじき、か。神保町まではまだ十分ほどかかる。先方さんには少し待って頂くことになりそうだ。私が編集部に着くまでの間、原口さんに応対をお願いしようと思っていると。 ……ピロリロリン ♪『ナミ先生がこちらに着くまで、僕が近石さんの応対をします。だから安心して、気をつけて来て下さい』 彼の方から、応対を申し出てくれた。『ありがとう。実は私からお願いするつもりでした(笑)』 以心(いしん)伝心(でんしん)というか何というか。こういう時に気持ちが通じ合うって、なんかいいな。カップルっぽい。……って、カップルか。 ――JR山手線(やまのてせん)の黄緑色の電車はニヤニヤする私を乗せて、神保町に向かってガタンゴトンと走っていた。 * * * * ――それから約十五分後。 ……ピンポン ♪ 私は洛陽社ビルのエレベーターを八階で降り、猛ダッシュでガーネット文庫の編集部を突っ切っていった。「おっ……、遅くなっちゃってすみません!」 奥の応接スペースにはすでに原口さんと、三十代半ばくらいの短い茶髪の爽やかな男性が座っている。私は息を切らしながら、まずはお待た
「どしたの? 奈美ちゃん」「うん……。彼からメッセージが来てるの。えーっとねえ……、『お疲れさまです。このメッセージを見たら、折り返し連絡下さい』だって」 LINEアプリのトーク画面に表示されている文面はこれだけで、肝心(かんじん)の用件は何も書かれていない。「何かあったのかなあ? 返信してみたら? 『どんな用件ですか?』って」「返信より、電話してみるよ。その方が早いし」 私は履歴から彼のスマホの番号をタップし、スマホを耳に当てた。『――はい、原口です』「巻田です。なんかさっき、メッセージもらったみたいなんで折り返し電話したんですけど。たった今気がついて」『ああ、そうなんですか。――今日はお仕事ですか?』「はい。今はお昼休憩中なんですけど。――何かあったんですか?」『はい。えーっと、映画プロデューサーの近石(ちかいし)さんという方から、「巻田先生にお会いしたい」ってお電話を頂いて。今日の夕方に編集部でお会いすることになったんで、連絡したんです』「映画プロデューサーの近石さん……、あっ! もしかして、近石祐司(
――数日後。今日のバイトは久々に由佳ちゃんと一緒のシフトになった。 新作の原稿も順調に進んでいるし、原口さんとの関係も良好。ここ最近の私は公私(こうし)共(とも)に充実している感じだ。「――客足も落ち着いてきたね。二人とも、お昼休憩に行っておいで」 正午を三十分ほど過ぎた頃、清塚店長が私達アルバイト組に休憩をとるように言ってくれた。「「はい。行ってきます」」 休憩室の机の上にお弁当を広げ、由佳ちゃんとガールズトークをしながらのランチ。この日も当然、そうなるはずだった。……途中までは。「――そういえば、最近どうなの? 五つ上の編集者さんの彼氏とは」 由佳ちゃんは最近、私の恋愛バナシにご執心(しゅうしん)みたいだ。「うん、順調だよ。――由佳ちゃんの方は?」 私はお弁当箱の中の玉子焼きをお箸でつまみながら答え、今度は私から由佳ちゃんに水を向けた。「うん……。彼とはねえ、最近連絡取ってないの」「えっ? ケンカでもしたの?」 少し前まで幸せそうだったのに。予想外の答えに私は目を丸くした。「ううん、そうじゃないんだけどね。彼、最近忙しいみたいで……」 由佳ちゃんの彼氏は中学校の教師で、私の予想では多分三年生を受け持っている。「そっか……。でも、中学校の先生だったら今ごろはきっと、ホントに忙しいんだろうね。文化祭の準備とかテストとかで」 私はさり気なくフォローを入れる。それに、三年生の担任だったりしたらきっと、生徒の進路の相談に乗ったりもしているんだろうから、さらに忙しいだろうし。「少し時間が空いたら、彼からまた連絡くれると思うよ。だから、彼のこと信じて待つしかないんじゃない?」「……そうだね。あたし、彼のこと信じる」 さっきまでちょっと元気のなかった由佳ちゃんは、食べかけでやめていたコンビニのエビマヨのおにぎりをまたモグモグし始めた。「――にしても、奈美ちゃんはいいなあ。仕事でも私生活(プライベート)でも、大好きな人と一緒なんでしょ? 『離れたらどうしよう?』なんて心配はなさそうだし」 冷たい緑茶でおにぎりを飲み下した由佳ちゃんが、羨ましそうに私に言った。「うん……、まあね。逆に言えば、プライバシーもへったくれもないってことになるんだけど。別に私は困んないし」 むしろ四六時中(しろくじちゅう)彼と一緒にいられて幸せだから、私はそ
* * * * ――翌朝、原口さんはバイトに出勤する私に合わせてわざわざ早く起きてくれたので、一緒に朝ゴハンを食べた。今日のメニューは白いゴハンに焼き鮭(ざけ)、キュウリとナスの浅漬け、そしてきのことカボチャのお味噌汁。秋が旬の食材をふんだんに使ったメニューだ。 たまには洋食の朝ゴハンにしようかとも思うのだけれど、原口さんは和の朝食がお好みらしい。「――そういえば、ナミ先生って和食以外もよく作るんですか?」 ゴハンをお代わりしながら、彼が訊いた。……あ。そういえば彼がウチで食べる料理ってほとんど和食だ。洋食系のメニューって食べてもらったことあったっけ?「うん、作りますよ。中華とかカレーとかも。でも、さすがにハヤシライスは作ったことないなあ」 昨日のデートで、彼と一緒にカフェで食べたハヤシライスはおいしかった。……でも、自分で「作ってみたい」とまでは思わない。私は創作の面では結構攻めるタイプだと思うけれど、どうも他の面では守りに徹(てっ)するタイプみたいだ。 そういえば恋愛でもそうだった。原口さんのことが好きだと気づいた時だって、自分からはグイグイ行かなかった……と思うし。「――僕、ナミ先生が作ってくれる和食大好きなんですけど。たまには洋食系のメニューも食べてみたいなあ……なんて。……すみませ
* * * * ――結局、彼はやっぱり泊っていくことになった。 洗い物を済ませてから二人で交代に入浴し、寝室で甘~~い時間を過ごしたら、私は無性に書きたい衝動(しょうどう)にかきたてられた。「――ゴメンなさい、原口さん。私、これからちょっと仕事したいんですけど。机の灯りつけてても寝られますか?」 私が起き上がると、彼は「仕事って、執筆ですか?」と訊き返してくる。「そうです。眩しいようだったら、ダイニングで書きますけど」「いえ、僕のことはお気になさらず。……ただ、明日出勤でしょ? あんまり遅くまでやらないようにして下さいね」「うん、ありがとうございます。キリのいいところまでやったら、適当に寝ます。だから気にせず、先に寝てて下さい」 私はベッドから抜け出して、部屋着の長袖Tシャツの上からパーカーを羽織り、机に向かった。書きかけの原稿用紙を机の上に広げ、シャープペンシルを握る。 ノートパソコンは、相変わらずネットでしか稼働(かどう)していない。タイピングの練習は、時間が空いた時だけやっている。でも、パソコンで執筆する気にはやっぱりなれない。 原稿を書きながら、数時間前に観た映画のラブシーンとついさっきまでの彼との濃密(のうみつ)な時間を思い出しては、一人で赤面していた。私が書いている恋愛小説は濃厚(のうこう)なラブシーンが登場するようなものじゃなく、主にピュアな恋愛を描いているものがほとんどなのだけれど。 私の恋は、小説やTVドラマや歌の世界を地(じ)でいっている気がする。 潤のことも、もちろん本気で好きだった。だから、「小説家なんかやめろ」って言われてすごく傷付いたんだと思う。「どうして好きな人に応援してもらえないの?」って。 でも、原口さん相手ほどは燃えなかったなあ。こんなにどっぷり好きになった相手は、多分彼が初めてだ。そして、ここまで愛されているのも。 だって彼は、私のことを丸ごと愛してくれているから。私のダメなところも全部認めてくれて、決して貶さないし。……こんなに出来た彼氏は他にいないと思う。 ――集中してシャーペンを走らせ、原稿用紙十五枚を一気に書き上げると、時刻は夜中の十二時過ぎ。いつの間にか日付が変わっていた。「ん~~っ、疲れたあ! そろそろ寝よ……」 私はシャーペンを置き、思いっきり伸びをした。ふと、後ろのベッド
「――さて、と。まだ時間も早いですけど、DVDでも観ます?」 私はソファーから立ち上がると、ミモレ丈(たけ)のデニムスカートの裾を揺らしてTVラックの所まで行き、彼に訊ねる。 今日は映画を観てきたけれど、この部屋の中での時間の潰し方は限られる。TVを観るか、DVDを観るか、仕事するか。それとも…………。「いいですけど。ちなみに、どんなジャンルですか?」「ワンパターンで申し訳ないんですけど、恋愛映画……。洋画と邦画、どっちもありますけど」 これでも恋愛小説家である。他の作家さんの恋愛小説だけでなく、時にはコミックやTVドラマ・映画などを作品の参考にすることもあるのだ。そういう意味で、恋愛映画のDVDは資料としてこの部屋には豊富に揃(そろ)っている。「じゃあ……、邦画の方で」「了解(ラジャー)☆」 私が選んだのは、〝恋愛映画のカリスマ〟と名高い若手映画監督がメガホンをとった映画。今日観て来た映画とは違う、ドラマチックな演出をすることで有名な人の作品だ。 ――でも見始めてから、この作品を選んだことを後悔した。「「わ…………」」 途中で際(きわ)どいラブシーンが流れて、何となく気まずい空気になったのは言うまでもない。 あまりにも生々しすぎるラブシーンを直視できず、TV画面から視線を逸らしてチラッと隣りを見遣れば、原口さんは瞬(まばた)きひとつせずに画面に釘付けになっていた。 ……目、大丈夫かな? ドライアイにならない? 私は彼の顔の前に手をかざして上下に動かしてみる。「お~い、起きてますかぁ?」「…………ぅわっ!? ビックリした!」 ハッと我に返った彼のガチのビックリ顔がおかしくて、私は思わず吹き出した。「ハハハ……っ! めっちゃ見入ってましたねー」「スミマセン」 お家デート中に彼女の存在そっちのけで映画に見入っちゃうなんて、なんて彼氏だ。……まあでも、面白いものが見られたからよしとしよう。「――あ、終わった。ちょっと刺激強すぎたかな……」 映画は二時間足らずで終わった。プレイヤーから出したディスクをケースに戻し、次に観る時はもう少し刺激の少ない映画にしようと思った。「お風呂のお湯、入れてこようっと。――先に入りますか?」 この調子だと、今日も彼はこの部屋に泊まっていくことになりそうなので、私はバスルームに向かいがてら彼に訊ね
「原口さんだって、もうちょっと広い部屋の方が落ち着けるでしょ? ベッドだって狭いし」「だったら、ベッドだけシングルからセミダブルに変えたらいいんじゃないですか?」 彼の提案は身もフタもない。せっかく「あなたの部屋の近くに引っ越したい」って言うつもりだったのに。「ここの寝室は狭いから、セミは置けないんです。だからどっちみち引っ越すことになるの。……まあ、狭いベッドの方が、ベッタリくっついていられるから私もいいんですけど」「そっ……、そういう意味で言ったんじゃ………」 ちょっと意味深な視線を送ると、彼は真っ赤になって慌てた。私より恋愛慣れしているわりには、結構ピュアだったりするのだ。「冗談ですって。でも、引っ越すなら赤坂の方の物件がいいな。原口さんのお部屋の近く」「え……」「その時は、お手伝いよろしく☆」「…………はい」 私の方が年下なのに、彼は腰が低いというか、立場が弱いというか……。私に何か頼まれると、「イヤです」とは言いにくいらしい。話し方だって、未だに敬語が抜けないし。 しばらく話し込んでいたら、マグカップに入っていたミルクティーはもうほとんど飲み終えつつあった。私は彼の肩にそっと頭をもたげる。「――あ、そういえば美加が、『いつ結婚式の予約入れてくれるの?』って言ってたんですけど」「美加さんって……、こないだ取材させて頂いたウェディングプランナーのお友達ですか?」